日本ヴァイオリン

Nicolo Amati 1678

ニコロ・アマティ 1678年製

ニコロ・アマティ(Nicolo Amati, 1596年– 1684年)は、イタリア・クレモナを代表するバロック期のヴァイオリン製作家であり、アマティ家の三代目にして最も偉大な人物とされています。
ニコロはクレモナの名門楽器製作家アマティ家に生まれました。祖父はアンドレア・アマティ、父はジローラモ・アマティ(Girolamo Amati I, 通称ヒエロニムス)で、いずれもヴァイオリンの原型と音響の基礎を築いた功労者です。
ニコロ・アマティはヴァイオリン製作における文化的遺産を築いた創造者であり教育者でした。ストラディヴァリのような天才を育む土壌を作り、クレモナという都市を楽器製作の聖地たらしめた彼の功績は、クラシック音楽の歴史においても極めて重要です。
1600年代初頭からニコロは父とともに「Brothers Amati(アマティ兄弟)」名義で楽器製作に関わっていました。1620年代以降には自身の名を冠したラベルも使用するようになります。
1630年、イタリア北部を襲った大規模なペストにより、父ジローラモを含む多くの職人や市民が命を落としました。このとき、クレモナで活動を続けるヴァイオリン製作家は実質ニコロ・アマティ一人になったといわれています。
この孤独な時期が、彼の芸術的自立と革新の時代をもたらしました。この時期に後のストラディヴァリやグァルネリ・デル・ジェスのモデルに多大な影響を与え、クレモナ派の原型ともなるグランド•アマティ•パターンが確立されました。その後、ニコロ・アマティはアマティ家で初めて家族以外の弟子を受け入れました。
彼の工房は17世紀中頃のクレモナにおける職人養成の中心地となり、アンドレア・グァルネリ、ジョヴァンニ・バッティスタ・ロジェリ、ヤコブ・シュタイナーやアントニオ・ストラディヴァリという多くの名だたる後進を輩出しました。
1684年に亡くなった後も、ニコロ・アマティの名声は衰えることなく、彼の楽器や設計思想は18世紀のヴァイオリン黄金期を支える礎となりました。特にヴァイオリンの「理想形」とされるバランス感覚、教育と工房運営による人材育成、甘美かつ明晰な音色美学の確立、これらは後のストラディヴァリやグァルネリ、さらには19世紀以降のフレンチスクール、ドイツ系製作家にも引き継がれていきました。
1678年、彼の生涯の後期におけるこの作品は、ニコロ•アマティならではの優美で洗練されたf字孔とスクロールが特徴で、その音色は甘く柔らかく、明瞭で豊潤な倍音を持っています。

製作地
イタリア クレモナ
カテゴリ
オールド