日本ヴァイオリン

Ferdinando Garimberti 1922

フェルディナンド・ガリンベルティ 1922年製

1894年、イタリア・パルマ近郊に、20世紀ミラノ派の最盛期を支えた巨匠の一人、フェルディナンド・ガリンベルティが生まれました。幼少期、父の仕事の都合で一家はミラノに移住。1910年頃には、当時すでに名の知れたアントニアッツィ兄弟と出会い、特にロメオ・アントニアッツィからヴァイオリン製作の基礎を学びながら、深い親交を築いていきます。
同時期にジャン=バティスト・ヴィヨーム以来、楽器製作界で前例のない名声と富を既に築き上げていたレアンドロ・ビジアックとも出会います。ビジアックは、後に生涯の友であり良きライバルともなるジュゼッペ・オルナーティをフェルナンドに紹介しました。
順調に職人としての道を歩み始めていたフェルナンドでしたが、1915年に祖国イタリアが戦争に突入。彼も徴兵され、第一次世界大戦に従軍することとなります。
戦後、一時は楽器製作以外の仕事に就いていた彼でしたが、1920年に再びミラノへ戻り、当時ミラノで最も高名だった職人、ジュゼッペ・ペドラッツィーニとレアンドロ・ビジアックの工房で修行を積みます。
その後まもなく独立し、自らのスタイルを模索しながら技術を研ぎ澄ませていきました。 1927年から1930年代後半にかけて、少なくとも3つの国内コンクールで重要な賞を受賞しました。中でも、1937年にクレモナで開催されたストラディヴァリ生誕200年記念コンクールでは、チェロ部門で優勝を果たし、その名声は頂点に達します。
1963年から1966年にかけては、クレモナ・ヴァイオリン製作学校において、ジュゼッペ・オルナーティの教職を引き継ぎます。当時の同僚にはシモーネ・サッコーニもおり、三人が1960年代半ばにかけて知見や技術を共有していたことは、疑いようがありません。
今回ご紹介する楽器は、彼が独立して間もない1922年に製作されたものです。師であったアントニアッツィおよびペドラッツィーニの流れを汲む作風を感じさせながらも、すでにガリンベルティ独自の緻密で男性的なスタイルが確立されており、非常に完成度の高い作品となっています。
やや角ばった印象のコーナーとパフリング、左右対称でエレガントなスクロール、なだらかなアーチにオレンジがかった美しいニスをまとったボディ。そこから発せられる音色は、演奏家が求める音を存分に引き出すだけの実力を備えています。

製作地
イタリア トリノ
カテゴリ
モダン