Jean-Baptiste & Nicolas Vuillaume c1850
(Saint-Cécile des Thernes)
ジャン=バティスト・ヴィヨーム&ニコラ=ヴィヨーム 1850年頃製作「サン=セシル・デ・テルヌ」
ジャン=バティスト・ヴィヨームとその弟ニコラ・ヴィヨームは、19世紀フランスの弦楽器製作において重要な役割を果たしました。
ジャン=バティストは、弟ニコラと協力し、特に「サン=セシル・デ・テルヌ(Saint-Cécile des Thernes)」というブランド名で高品質な楽器を製作しました。これらの楽器は、ニコラがミルクールで準備し、ジャン=バティストがパリで仕上げと塗装を行うという分業体制で製作されました。
ジャン=バティスト・ヴィヨームは1798年10月7日、ミルクールのヴァイオリン製作家の家系に生まれ、1818年にパリに移住し、フランソワ=シャノー(François Chanot)やニコラ=アントワーヌ・レテ(Nicolas Antoine Lété)の工房で修行した後、1827年に独立し、パリのクロワ・デ・プティ・シャン通りに工房を構えました。 ヴィヨームは、ストラディヴァリやグァルネリなどのクレモナの名工の作品を模倣し、高精度なコピーを製作しました。彼の工房は、ピエール・シルヴェストル(Hippolyte Silvestre)、シャルル・モコテル(Charles A. Maucotel)、ジョゼフ・ルイ・ジェルマン(Joseph Louis Germain)などの優れた製作家達を輩出しました。 ヴィヨームはオクタバス(Octobass)やコントラルト(Contralto)などの新しい楽器の開発にも携わり、また空洞鋼製の弓やセルフリヘアリング・ボウなどの革新的な弓も考案しました。 彼の作品は、フランス国内外で高く評価され、1851年のロンドン万国博覧会や1855年のパリ万国博覧会で金メダルを受賞しています。
ニコラ・ヴィヨームは1800年5月21日、ジャン=バティストの弟としてミルクール生まれ、1832年から1842年までパリの兄の工房で働いた後、ミルクールに戻り、アントワーヌ・ダルト(A. Darte)夫妻によるブランドである学生向けの楽器「ステンター(Stentor)」の製作に携わりました。兄の工房での経験を活かし、学生向けの楽器の製作を通じて、ヴァイオリン製作の普及に大きく貢献しました。
1850年頃に製作されたこのヴァイオリンの裏板には聖セシリアの図像が描かれ、その下に「St. Cecile des Thernes」と記されています。
ヴィヨームならではのフラットアーチに輝かしい音質を備えており、極めて実用性の高い逸品です。